アブラナの種子から中国農村部の土地使用をめぐって

私 「これゴマだよね」
祖母 一瞬戸惑ったように固まって「ゴマ?(笑笑)」
私 「ああ、アブラナの種子だ!」

画像1

↑家の前で干されていたアブラナのタネ

 祖父母(主に祖父)は土地開発で移住されたあとも、政府に徴収されたものの、未だに再利用されていない、過去に使用権のあった耕地で農作物を育て続けてきた。このアブラナの種子もそこで収穫されたものだ。 

 一緒に畑に行きたいと祖父には言っているのだが、私を耕地に連れて行くことに積極的ではないか、いつも反応が薄く、一緒に行こうと応じたことがない。

 それから移住前の住所は今住んでいるところから5〜6キロも離れていて、祖父はいつも電動バイクで往復しているが、家に余っている自転車やバイクがなく、バイクの2人乗りは出来るんだけど、安全面を考えるとさすがに無理やり連れてってとは言い出せない。

 最近はアブラナの種子の収穫シーズンだ。一昨日住宅街を散歩していたら、住宅街にもアブラナの種子を収穫している人の姿があった。

 家の周りの土地はそこまで広くないが、恐らく本来緑地帯と計画されていた大通りや川辺の周りの土地がその隣に居を構えた人たちに使用され続け、そこで果樹と農作物を育てているのだ。

 大通りと川辺の家が羨ましいという声はあるけど、憤るほど不平等感を抱いていなさそうだ。新しい住宅街で家を建てはじめてから既に12年も経った今、人々の心情は少しずつ変わっているかもしれないが、もっとも12年前は政府の移住計画に皆自ら進んで同意し、補助金をもらって喜んで耕地を返上したのだ。

 土地の縛りがなくなった今でも、6キロも移動してまで農作物を育て続けていようとしても農民出身の人々にとっては農作業は大変だという思いに変わりがない。バリバリ農作業をしていた祖父母の世代には失われた過去へのノスタルジーがどうも薄いように感じる。

 一方、《農村土地承包経営権流転管理辦法》2005、《関於引導農村土地経営権有序流転発展農業適度規模経営的意見》2014といった国家に採択公表されたポリシーは、本来(1978年くらいから)各家庭の請負によって経営されてきた集団所有の土地の経営権を譲渡可能なものにした。これで所有権(農村集団/公的)、請負権(各世帯)、経営権の3つの権利は分離され、農民が農村集団から請負った土地を賃貸で他の個人と企業に経営権を渡すことができるようになった。田舎の市街地に住んでいる人が「産権」(家の所有権、その土地の使用権)のある家を他の個人に賃貸できるように、農地の所有権を持たない農民も実質賃貸収入を得られる「地主」になったと言えなくはない。

 中国農村部の土地使用をめぐるこの新たな動向は移住された(耕地を失われた)農民と移住されなかった農民の生活をいかに変えていくかはこれからの「楽しみ」だ。

画像2

↑成熟して実が硬くなったさやの黒いほうのそら豆と、やや若いさやの緑のそら豆を祖母が選り分けていた。